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【神理創造の自由】新たな説と法解釈の自由化

 
*人間はみんな神の子です それを私は神性遍在と呼んでいます

どのひとにも神性が宿るなら 心の統御を前提に どのひとも神の法を降ろし 神の法を説くことができるはずです

これは一躍如来 悉皆成仏の考え方のように聞こえるでしょうが少し違います

神理を教条主義の絶対的独占とするのではなく それぞれの神性が 個々の気付いた範囲で神理を語り 互いに意見交換の掛け算をして 神の法の探究をすることもできるという提案です

つまり神理の民主化であり自由主義神理論です 神性遍在ならば理論的帰結はここに達すると思います

*信者さんの中にもそういう考えの方がいて感銘を受けましたので ご紹介

◆真理は心の中にある
[法の解説者では人の魂を揺さぶることはできない]
http://ameblo.jp/yamato-hideboo/

「法の解説者で満足するな。真理そのものを語れ。これほど大量の教えを出しているのは、我々自身が真理を語り、そして世の中に一石を投じていけということだ」

「法そのものを語ってはいけないという風潮が残っているとしたら、いささか問題である。法には厳格に解釈するべき部分と、時と場所によって柔軟に解釈するべき部分がある」

といった感じ
信者さんの多くは この考え方に抵抗があるでしょう「個人が勝手に説いた法が間違っていたらどうするんだ」とね

最初は間違えてもいいじゃないですか 本にするわけじゃなくブログや個人的に議論の対象にしていくだけなので 間違いがあれば議論の中で気付いて修正していけばいい そういう試行錯誤は新しい創造には付き物です

大事なのは意見の違いを許容し「天国地獄の二元論」で議論しないことと自由にコメントできる場所があることかな

幕末の志士たちも そうやって国論を磨いて活動し 適塾などの塾でも そうやって学問を研鑽していったのです

こうして自由な新説を個々人で創り出し 語りあい磨きあえば お互いの得意分野の掛け算になって すごい相乗効果が生まれるでしょう


神理繚蘭

きれい α35.jpg
真理は
心の中にあり

それが
神性遍在の悟り
 
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コメント

2. 引用記事 全文(後半)

 
(つづき⇒)
法には厳格に解釈するべき部分と、時と場所によって柔軟に解釈するべき部分がある。

全ての教えを厳格に解釈しては、自縄自縛となり、身動きが取れなくなってしまう。

ただただ教条的になっていくと、わかりやすい考え方が優先され、わかりにくい教えは後回しにされてしまう。

この世に近い教えが尊重され、霊的な教えは棚上げされてしまうのだ。


仏の教えは高く、広く、そして深い。
その中に高次な教えもあるが、低次な考え方も含まれている。

しかし、原理主義的に解釈してしまうと、高次な教えも、低次な考え方も一緒くたにしてしまう。

その結果、この世的にわかりやすい低次な考え方が強調され、高次な教えは棚上げされてしまうのだ。

「私達のような未熟な人間は仏の考えがわかるはずがない」と決めつけ、教団の方針に従って、ただ素直に行動するのが、会員としての、あるべき姿という決めつけも、非常に、この世的な考えから生まれている。

我々は宗教者だ。
まず統御するべきは心であって、行動ではない。

実績を問う前に、動機を問わなければいけない。

今という、この時代において、仏は何を考えているのか。
何を問うているのか。
何を望んでいるのか。

その答えは各人各様だ。
それは決して画一的なものではない。
同じ仏を信じていながら、同じ説法を聞いていながら、各人の出す答えは異なる。

そこに微妙なる味わいがあり、おもしろさがあり、豊かさがある。


◆真理は心の中にある
法の解説者では人の魂を揺さぶることはできない
http://ameblo.jp/yamato-hideboo/entry-11746643305.html
 

2014.01.10   ソフィア   編集

1. 引用記事 全文(前半)

◆真理は心の中にある
法の解説者では人の魂を揺さぶることはできない
2014/01/09 21:40

自分の人生の主人公は自分自身。
今、この世界を選んだのは自分自身。
この自覚がなければ、いくら真理を学んでも、実践するには至らない。
他人の意図に乗っかっているだけでは、真理のもつ醍醐味を味わうことはできない。

自分勝手に行動せよと言っているのではない。しかし「自分がやらずして、誰がやる」という自負心は讃えるべきである。

しかし多くの人は真理の片鱗を見て、わかったつもりになり、解釈するばかりで、自分自身が真理を語るまでには至らない。

自信がないのだろう。
勇気がないのだろう。
それは、それでいい。

しかし、あなたの語る言葉は真理ではなく、真理の解説に過ぎない。
そのことをよくよく自覚しておくべきだ。

あなたの語る言葉は道案内に過ぎず、あなたの語る言葉で、人の心を変えることはできない。

「真理の説明しかできず、真理そのものをを語ることができない」
そういう、あなた方は勇気に欠けている。
それを謙虚だと思っているのは、ただ臆病な自分を正当化しているだけだ。

法の解説者で満足するな。真理そのものを語れ。これほど大量の教えを出しているのは、我々自身が真理を語り、そして世の中に一石を投じていけということだ。

「会員は法の解説者でなければいけない」という考え方が、未だに教団の中に根強く残っており、それが伝道に対する大きなブレーキになっているのではないか。

確かに初期の頃、大川先生は「求められているのは法の解説者であり、法を創造することは求められていない」という話をしたことがある。

しかし、あれから20数年経ち、その言葉に囚われ、「会員に許されているのは法の解説のみで、法そのものを語ってはいけない」という風潮が残っているとしたら、いささか問題である。(つづく⇒)

2014.01.10   ソフィア   編集


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