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正語とは心のままに語ること2~ホンネの世界

*前記事
正語とは心のままに語ること1


正語とは心のままに語ること2
・仏説『正心法語』と幸福信者
・反論 無反省とチンピラ
・ホンネの効用と時間の流れ
・直言家のひとたち
・本当の調和
・ホンネの世界
・まとめと結論


◆仏説『正心法語』と幸福信者
さて、根本教典からも八正道の「正語」を検証してみましょう。言霊があまり良くないので抜粋で。

*仏説『正心法語』会内教典,p75-79

正語とは不悪口、不妄語、不両舌、不綺語。

不綺語とは過ぎたお世辞を言わぬこと

但し仏敵折伏には勇気ある批判と智慧を忘れるな

正語を弱さと捉えるな

理想社会の建設には積極性を忘れるな


※引用は著作権法で認められた行為です


幸福信者を見ていると、悪口を言いまくりですね。そして平気でウソをつくのも彼らの特徴。中には誠実なひとも、ちゃんとおりますよ。

でも悪口とウソは、まず第一に大川さんを信者さんたちは真似するので、教祖があんなだと信者コミュニティもそうなるという、よい見本です。

第二に不悪口、不妄語のすぐあとの仏敵折伏ですね。一神教は簡単に相手を敵や悪のレッテルを貼ってしまうので、それは信者コミュニティでも、信者同士でレッテルを貼りあって、当然それは仏敵になりますので、いくらでも悪口を言いまくるという、世にもおそろしい斬り合いの世界となっております。

というか、全然、言葉の調律すらできてないじゃないか。いえ、言葉の調律だけして、際どいイヤミや皮肉ばかり弄している者もおります。

そして第三に、彼らのよく使う伝家の宝刀「正当な批判」。これは正心法語にも載っていますね。こういうもので、不悪口戒は骨抜きにされ、全く機能していません。
 
不妄語・不両舌のほうは教祖自ら都合にあわせて教義や過去世設定をコロコロ変更し、それを方便の名で糊塗するために、信者も伝道のためと称して平気でウソをつく文化が蔓延しました。

不綺語、これこそがホンネで話しなさいという戒め。ほら、ちゃんと言ってるじゃん。上辺だけの美辞麗句や、心にもない丁寧な言葉は不綺語戒に障りますよ。

こうしてみると、信者コミュニティの中で「正語」の見解が統一されておらず。特に「正当な批判」と「不悪口」の矛盾が混乱に拍車をかけています。

一方、ホンネなら悪口を言っていいのかという点で、私の見解は、口がわるくなってもいい、装ってごまかしたりするウソよりは、口がわるくなっても正直なほうが「心で話している」と思うからです。


◆反論 無反省とチンピラ
ここで反論がありそうなところでは「ホンネの垂れ流しでは無反省でチンピラのような言葉が氾濫していくだけだ」という人もいるでしょう。

このひとは、ホンネが飛び交う環境を経験したことがない、と言えるでしょう。

実際にホンネの会話を経験したことがあれば、ホンネとはいかに誠実で力強く温かいものなのかが良く分かります。

たまに、そうでないひともおりますが、ホンネを機能させるキーワードになるものが「誠」、誠実さですね。

仮に自分の利益のために相手に怒りをぶつけてみる。それも確かにホンネでしょう。

ですが、たいてい出してみると分かりますが、心に誠のない言葉は、相手の心には全く響きません。ただ腹が立つだけで、それが続いたら無視されるだけです。

そして誠のないホンネを出した本人は、いずれ恥ずかしい思いをするでしょう。言葉を出したときにすぐ気付くひともいれば、一生かかっても気付かないひともいます。

誠のない言葉は、心というリトマス試験紙にかけらて、相手には怒りを、本人には羞恥を感じさせるものです。

そう怒りには、心を大事にしていないものを判定するという機能が埋め込まれています。だから怒りを理解するのは良いにしても、ただ滅尽して感じないようにすればいいというのは間違い。神さまは必要があって、私たちに怒りの感情も持たせた、大事な感情のひとつなのです。

そしてホンネを出してみたことにより、この人は羞恥とともに自らの無反省と過ちに気付くかどうか。少なくも気付きの機会はここにあります。

言葉を出す前に気付ければ、いちばんいいのだけれど、自分のパラダイム(殻)という城壁の中に籠城していると、なかなか気付けないものなんです。出してみて、他のひとの感じ方に触れると気付きやすくなります。

よく自分ひとりであれこれ考えていても答えは出ないが、行動してみると答えが出る。良くもわるくも結論が出て、何かしらを感じることができるというのと同じでしょう。

たとえ無反省なチンピラみたいな言葉でも、ホンネを出してみることで、気付きの機会は増えるということです。そこで気付くかどうかは本人次第。たくさん迷惑をかけ続けて無視されたら、やっと気付けるかもしれませんが


◆ホンネの効用と時間の流れ
おそらく幸福コミュニティに居るひとの多くは、ホンネがバシバシ飛び交う環境を経験したことがないのかもしれない。

そこでは荒々しい言葉もたくさんありますが、ホンネというのは実に多くの気付きをもたらしてくれる、ありがたい言葉でもあります。
 
特に「自分ではそう思っていなかったのに、他のひとから見るとそう見えるんだ」という気付きは、自分の殻を破って新しい景色を見せてくれるものです。
 
そこに遠慮やオブラートに包んだものがあると、その伝えられる情報も減ってしまい、気付きの機会もまた少なくなってしまう。
 
職場やお客様相手のときは、ホンネばかりではいられないでしょう。上辺だけの関係で丸く収めればそれでいい場所もたくさんあります。
 
ですが、心の成長のために互いに研鑽しあう場所では、ホンネ文化が根付いているところの時間の流れは速くなります。
 
他の場所で3年かかって気付くことを3日で気付くことができるとしたら、その場所の時間はそれだけ速く流れているのです。

 
◆直言家のひとたち
特定の場所だけではなくて、普段からホンネで話すような人の周りには、そういう直言家たちが引き寄せられて集まってきますので、そういうひとの環境では実にみんな口がわるい。それでいながら決して不快ではなく、言葉ひとつひとつに誠があり、多くの気付きを与えてもらえる環境が生まれてきます。

不思議なことに直言家というのは、みんな敏感で直感力が発達しているひとが多いので、本質を見抜いてビシバシ痛いところを攻めてくる。

ホンネ耐性がないひとが、いきなりそこに飛びこむとショック死しますよ。それぐらい殻に覆われて自分の本心を隠して生きていても、分かるひとには分かってるし、それを余り親しくないひとには伝えていないだけで、丸見えなんですよ。

それに普段からホンネを聞き慣れているので、心にもない上辺だけの言葉は、すぐに違和感として感じとり、「うそつけよ。お前、本当はこう思ってんだろ」なんて言われます。

でも、あの世がガラス張りの世界だとしたら、そういうホンネが飛び交う場所のほうが、上辺だけ装っている場所に比べて、ずっと、あの世の環境に近いと言うことができます。

そして、直言家の直感の敏感さを見ると、そういう環境にいると感覚が研ぎ澄まされて、より相手の気持ちや自分自身の内面を感じとりやすくなるし、自分の潜在意識にアクセスすることに敏感になっていくとも言えるでしょう。
 
実は自分のパラダイム(殻)の発見とそのパラダイムの突破と拡大によって、感性は研ぎ澄まされるのですが、その話はまた別稿でいたしましょう。

要はホンネ環境にいるほうが「悟り」への近道ですよということが言いたい。その環境を経験した者にとって、上辺だけの丁寧な言葉には何の価値もない。心ない言葉に何の価値があろうか
 
だから正語は心のままに語ること。言葉の調律は暇があったらやる趣味みたいなもので本質ではない。
 
言葉の調律だけしててもダメなんですよ。ケンカすることだって、別にわるいことではない。むしろホンネをぶつけあって言いたいこと言いあえばいい。


◆本当の調和
そして本当の調和は、そういうホンネ環境から生まれる。

上辺だけの一時的平和は互いに心に異心とモヤモヤを残しながら面従腹背でイヤイヤ表面的な平和を築いても、そんな一時的平和のいかに脆く弱いものか、幸福コミュニティで争いが絶えないのはそういう美辞麗句に包んだ表向きの会話をしているからです。

ホンネを全部吐き出して、良いとかわるいとかじゃなくて、全部のモヤモヤを吐き出して、相手にぶつけてみない限り、本当の意味で心から分かりあえ理解しあえるということはないでしょう。

本当の調和はそこから生まれる。あの世がガラス張りの世界なら、同じように洗いざらい相手にぶつけあっているから、心の底まで理解できて、大調和が生まれているのだろう。


◆ホンネの世界
ホンネ環境の荒々しいところばかりを紹介しましたが、そういうケンカばかりしている環境では、もちろんない。実に言葉に誠実さと心の温もりが込められた暖かくて優しさあふれる世界。

もちろん、いつもというわけではないけれど、互いに深く心そのものを認めあい、心そのもので話す世界。

これこそが神さまの創りたかった世界だろうと思えるものが、そこにはある。

神理の民主主義も、ホンネ環境のなかでこそ、より多くの学びと癒しをもたらしてくれることでしょう。

誠の愛があふれ、気付きの知恵があふれ、成長と調和を同時に実現していくにはホンネ環境が最適の世界です。

本当にそんなうまいこと行くかというと、それは時間はかかりますよ。きっと

でもホンネ環境がこういう場所ならば、あの世がガラス張りの世界、ホンネだけの世界というのも、やっぱり本当かもね。きっと神さまが私たちに最適の環境を創ってくれたのだから


◆まとめ
長々と語ってきましたが、このあたりで、まとめますと

・正語は言葉の調律だけではない。言葉の調律だけしてても人を傷つけてしまう

・言葉と心の声を一致させる練習をしよう。あの世はガラス張りのホンネだけの世界なのだから

・ホンネ環境は悟りに致る近道。気付きの時間を速めるための最適な環境

・ホンネ環境は愛と知のあふれる世界。成長と調和を実現させるために必要な世界

・誠の心によってホンネは機能する。心が揺れたとき、振り返り見て己が「誠」であればよし、誠にあらざれば素直に、ごめんなさいをすればいい


◆結論

正語とは心のままに語ること

誠実なホンネだけが人の心を動かしていく




*240×240
ミカエル



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正語とは心のままに語ること1~神理の民主主義

正語とは心のままに語ること1
・神理の民主主義とは
・あの世では心がガラス張り?
・いつもホンネでなんていられない
・幸福教義の正語とは
・怒りの解釈
・幸福コミュニティでの現状


*240×320
イルカ

 
ここは気ままに自由に好きなように発想した野孤禅ブログ。なので今日は幸福教義にこだわらず、「神理の民主主義」をしてみようと思うのであります。

そんな自由なことができるのは退会した元信者ならではの気ままな魂の遊び。こんな遊びの中から、幸福教義とは、ちょっと違った新説も生まれてしまうかもね。
 
 
◆神理の民主主義とは
退会した方々は誰でも経験すると思うのですが、それまで「絶対の正しさの基準」と思っていたものから解放されて、それぞれ思い思いの信仰観なり宗教観なり、好みに合わせて新たな道に進んでいくのかもしれません。
 
もともと天使や悟りということに親和性があって、あの宗教に一度はハマったひとたちですから、退会した後も「大川さんを神や仏陀とは認めない」だけで、本当の神さまやスピリチュアルな世界に思いを馳せる方も多いのではないかと思います。
 
そうして自分なりの思想や自分なりの世界観を探す旅が始まります。
 
「絶対の正しさの基準」がなくなったとしても、たった独りの、ぽつんと切り離された孤独な旅ではありません。
 
むしろ、旅の途上で出逢った隣人や仲間と一緒に探していく楽しい旅なのかもしれません。

神の性質である「神性」が全てのひとに宿っているのなら、神さまの創った世界の秘密である「神理」というものもまた人それぞれの心の中に宿っているということ。

人それぞれが感じたことを語りあい、いろいろ感じたり学んだり、時にはケンカもしたりしながら、本当の神さまとは何なのか、神さまの創った世界や人間とはどういうものなのかを、人々の関わりの中から探究していく方法があってもいいのではないでしょうか。
 
絶対の正しさの基準を降ろして「さあこれに従え、これに従えなければ天国に住めないぞ」なんて言う世界観が、本当に神さまの望んだ世界だろうか。そもそも試験会場でカンニングペーパーを配るようなことをするだろうか
 
それより「互いに語りあって、この世界の仕組みや人間の愛についての謎を解いてごらん。一人で難しかったら、いろいろなひとと関わって、一緒に探すんだよ」なんて言いながら、地上の私たちには何も語らずニコニコ見ているだけの神さまのほうが、私にとっては本当の神さまのように思える。
 
神理の民主主義とは、そういう「みんなで探している」という世界観を表した言葉です。
 
 
◆あの世では心がガラス張り?
これは高橋信次や大川隆法だけでなくスピリチュアルな世界ではよく見かける考え方です。

すなわち「この世は肉体に閉ざされているけれど、あの世は肉体から解放されて、裸のままの心、全て見通せるし、互いに理解しあえるガラス張りになっている」と言われています。
 
ここでは、これが果たして本当かどうかは言及せず、「こういうもの」という前提で話を進めます。

あの世で心がガラス張りということは、全てがホンネの世界。

普段から、ホンネと口に出して語る言葉が全く違って、上辺だけの美辞麗句で話しているような人たちは、あの世に行ったときにすごく困るよ。
 
だから、地上にいるときからホンネで話す練習、自分のホンネと、口で語る言葉を一致させていく練習を、私たちは今してるんだよ。
 
 
◆いつもホンネでなんていられない
そうは言っても、もし私たちの周りに、100%ホンネしか言わない人が居たとしたら、ずっと一緒には居られなくなるように思う。
 
その人だって、とても生きづらくて、言い訳もできないし、事を丸く収めるために黙っていることもできない。もう、どこ行ってもあちこちでケンカですよ。
 
それに毎回、天使みたいな思いでは居られないので、時にはひどいことだって思う。そういうのも全部、話していたら、軽蔑もされるだろうし、もう人には会いたくない。といって引きこもっているのがいちばん安心。ってことになるでしょうね。きっと
 
だから人間には、なぜかウソが必要なのです。これがあるだけで、だいぶ生きやすくなります。
 
ウソには人を傷つけるものもあれば、心の平安を守るものもある。
 
総じて、人の心は大事に扱ってほしいと思っていて、それが大事にされていないと感じたときに傷つくようです。
 
 
◆幸福教義の正語とは
幸福教義における「正語」を大川さんの著書から見てみましょう。仏説『正心法語』に関しては後述

*大川隆法『真説八正道』(絶版),1989
第3章 正語
 1.言葉の影響力
 2.自他をそこなう不用意な言葉
 3.プライドを捨て素直に謝罪する
 4.他人の言葉の受け止め方
 5.注意されたら感謝せよ
 6.言葉で人を創る


信者諸氏は「この本はエルカンターレ宣言以前のもので、すでに絶版されて今は方便として扱われる内容だ」などと言ってはいけない。
 
反省に致るための考え方を日常の生活に合わせて書かれたもので、大川さん自身が悩んだり思想的煩悶をした経験をそのまま記した良書だと思います。退会してアンチな私が言うのだから、当時の大川さんの作家としての本領発揮といった作品でしょう。
 
ただ、この良書が絶版されてしまった理由は創作が過ぎて「聖アントニウス」という第十次元神霊を登場させてしまったため、後の地球最高神エルカンターレと矛盾するので、闇に葬って、方便のウソ溜めの中に紛れこませたというのが真相のようです。
 
話がそれた。アンチなCMでした。
 
『真説八正道』の章立てから、およその内容がわかると思います。言葉によって苦しみを作っているから言葉の調律をしなさい。素直に謝罪したり感謝をしなさい。それだけでなく積極的な肯定的な言葉で人を創っていきましょう。というかんじ。
 
特に「怒りの言葉はぐっとこらえて10秒待って呑み込みなさい」(p73要約)というようなことが書いてあり、この辺りが私の意見と違うところ。
 
 
◆怒りの解釈
怒りもまた大事な感情のひとつ。本物の釈迦も怒りを戒めていたけれど

仏教的な制約のない欧米人たちは、実によく怒る。もう日常的にしょっちゅう怒りを発しているし、役所やいろいろな窓口では怒りを発しないと物事がうまく進まないので、彼らは何の気兼ねなく怒りを発散しています。

怒って言いたいことを言った後は、さっぱりして平静に戻る。というのも彼らの特徴。

日本人は仏教的な制約のうえ更に「和を以て尊しとなす、滅私奉公」という日本文化の中で、怒りを抑圧することを日常的に行っているので、怒りを溜め込んであるとき爆発して、とんでもない事件を起こしてしまったりする。

*参考文献
中島義道『ウィーン愛憎』中公新書
中島義道『怒る技術』PHP

中島氏は小出しに怒ることを提唱している。欧米人の様子については前者。日本人の個性を抑圧する文化については後者が詳しい

*参考文献
宮本政於『在日日本人』ジャパンタイムズ

日本人の常識を海外帰りの日本人が描写した良書。「滅私奉公」の下で感情と個性を抑圧された人々の様々な人間模様

 
本物の釈迦は心の平安のために怒りを戒めたけれど、怒りは必ずしも完全に抑えなければいけないというものでもない。怒りを抑圧しすぎて、かえって心に毒を溜め込んでイヤミなことを言ってしまうひとも居るのだから
 
そうかといって何でもかんでも怒りを発散すればいいというのもまた違う。

怒りはウソと同じように完全に0か100かの極端なものだとうまくいかず、それを使う状況判断や心の技術が必要で、その辺りが「正語」の修行ということになるのだろう。
 
 
◆幸福コミュニティでの現状
ブログ村の幸福カテゴリーに限らず、私が信者だったころも支部などで、こういう独特の幸福文化というものがあった。

つまり言葉の調律はみんな心掛ける。荒々しい言葉を出すひとは修行者として失格なので、みんな丁寧な言葉遣いをする。

しかし「きれいなジャイアン」という言葉に象徴されるように、上辺の丁寧な言葉と、そのひとの心の調律が釣り合っておらず、なんとも異様な気持ちわるいかんじが伝わってきて、言葉だけ丁寧に調律すればそれでいいなんていう簡単なものが「正語」ではないということがこれでわかる。
 
人を傷つけないように言葉の調律をするのだが、心にもない上辺だけの言葉は、それが透けて見えてしまうとき、人はすごく傷つくものなのです。
 
実際、人は言葉を聞いてると同時に相手の心の声を聞いていて、言葉と心の声に乖離(かけはなれたもの)があると、違和感を感じたり、傷ついたりする。

それは心の調律である「正思」にも関係してくるところであるが、語るときに言葉と心の声を一致させていく、というのが大事な「正語」の修行でもあるのです。

ただ単純に、怒りを呑み込んだり、丁寧な言葉遣いをしていればよいのではなくて、「正語とは心のままに語ること」というのはここから生まれてきた考え方なのです。



つづく⇒
正語とは心のままに語ること2
http://sakurakaory.blog.fc2.com/blog-entry-459.html


*240×320 心のままに
心のままに



◆このページのURL
http://sakurakaory.blog.fc2.com/blog-entry-458.html

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コメント欄は次の記事にあります⇒


【自由霊言の原理】波長同通は低次元霊界の法則

 
*波長同通の法則は確かに「自分の器の範囲内でしか相手を理解できない」という認識力の未熟なひとには当てはまるでしょう

それを霊界通信に当てはめて「9次元の声は9次元意識にしか受信できない」というのは 高橋信次の説いた霊界次元構造がビルの階層のように 波動を遮断する隔壁があり それを分厚い「次元の壁」と考えていることによる誤りです

「結界が必要」「磁場がどうの」「壁を厚くすると三次元波動を遮断できる」などと言っているのは 心の統御が未熟な者の発想で

心の統御が進んだひとほど混然とした玉石混淆の世界で より多くのひとに声を届け より大きな影響力を発揮しているのです

*則ち「神近き如来や天使の声ほど多くのひとに受信される」というのが霊界での通信原理であり

波長同通した者しか受信できないというのなら結界は必要ないし 隔壁がないと調和できないのならば それは地獄の世界観と言えましょう

*例えばTwitterのフォローのようなものです お気に入りの人にリンクが張ってあり 何か話すと一斉に送信されます

より深い見識と心に響く話をする人には多くのファンがリンクしており

逆に不快な話しかできない人にはリンクがあまりなく ぽつんと独り言を話しているようなものです

ネットの世界でも 自分の意見の合わない人は見つけ次第に射殺したり 反省を促すコメントすら削除したり レッテルを貼ったり 差別したりする者は そういう隔壁がないと自分の世界観や心の平安を保てない 心の未熟なひとなのでしょう

*地上における霊界との通信は少し事情が異なり波長同通の法則が重く作用します それは人間の認識力と霊人のそれとの差があるからです

反省が必要なのにスルーしているような人には似たようなのが寄って来ても見抜けないので危険です

自分の守護霊と同通できるぐらいに 心が澄んでくれば 自分より認識力のある方からのメッセージも受信は可能であろうかと思います

*波長同通は低次において重く作用し 高次においては自由度が増す

本当は「次元」や高次低次なんていう唯物的で固定化した隔壁は存在しないのです

優れた神性は一念三千の混然一体の中でより多くの神性から評価を得て自然に定まるからです


ぼくにもできる?

おいのり.jpg

 


【釈迦に説法】怒りは大事な感情のひとつ

 
どのような感情であれ それを抑圧し表に出さないように 自らの心に溜め込んでしまうことは心の毒になります

怒りもまた大事な感情のひとつで もしこれが本当に不要なものならば 神さまは人間にこんな やっかいな統御しづらいものを渡して「神に向かう悠久の旅に出よ」などと言うでしょうか

人の心は大事にされたいと願っています その相手の立場や もちろん霊格などは関係ありません

もし仮に「我は霊格尊き者ゆえ そなたは理不尽なることも全て従え 不当な辱めに遭うも黙って忍べ」

などと言われても やはり人の心は正直なもので 大事にされていないと感じたならば 相手の霊格や立場に関係なく やはり怒りの思いが湧いてくるでしょう

ここに心の不思議があります 心は等しく大事に扱われることを望んでいるのです 差別や侮蔑のない 互いに神の子として尊重しあう人間関係を神さまは佳しとされました

むしろ怒りとは その神性を大事にしてない者への「脱線サイン」でもありましょう

釈迦は心の平静こそ人の幸せと考え 怒りもまた心の毒であるとした

そのため「貪 愼 癡」を戒め 修行者に之を遠ざけるように勧めた

仏教的な「怒りの罪悪感」とは無縁の欧米人は気楽によく怒ります その代わり彼らはホンネで話すことがとても上手です

怒りを抑圧することが天国への道でもないし 怒りを表現することが地獄への道でもない

人間の幸せにとって 怒りを自癒して心の平静を保つのがいいのか 怒りを表現して心のホンネで話すのがいいのかは 人類普遍の法ではなく 未だに答えの出ていない問題なのです

日本の精神風土は 怒りを表に出さず 長者に黙って従うことで 調和を作り出そうとしてきた それと同時に「潔さ」という形で 自ら進んで心の赤誠を彰らかにするというホンネの道も持ち併せている

一見 蛮風に見える武士の切腹 あれは自害をしているのではなく「肝胆 赤誠なるを証して見せん」という意味があります 赤誠ならざる者の腹は黒いとされ 赤き肝を取り出して自ら証しとする

そこから「腹を割って話す」という言葉が生まれた

うわべのキレイ事が横行し 心 潔からざれば それもまた ひとつの端道なり

互いの誠 神性を照らしあうために 時にはホンネで語り 怒りを伝えることもまた大事なのではないでしょうか

怒りもまた 神さまから神性を分けてもらったときに いっしょに付けて頂いてきたのですから


大川教教義は前期と後期で全く違う

 
*大川教の教義を前期と後期に二分して考えてみたい

前期教義の理論書は『太陽の法』『永遠の法』『仏陀再誕』『真説八正道』などで

これらは創世記、霊界次元構造、想年帯理論などGLA教義をまとめたもの

それに加えて『仏陀再誕』における根本神発言と『真説八正道』における10次元人格の聖アントニウスは大川のオリジナル

*1994年「方便の時代はまだ終わってないけど前言撤回」において多少修正して

創世記の全面改訂。高橋信次を6次元に降格。聖アントニウスと矛盾する地球最高大霊エルカンターレ宣言。それに合わせて大川の経歴も劣等生から超エリートに変更

高橋信次理論に手を加えて逆に矛盾が大きくなる。創世記の改訂などあり得ん。真説八正道は絶版して聖アントニウスを闇に葬る。いつものことだけど

ここまでを前期教義としよう。この後しばらくして1998年ごろから家庭ユートピアを説きながら、愛人引きこもり生活に入るのだが・・

*引きこもり中に前期教義の助言者?善川三朗死去

*引きこもりが明けて支部巡錫の見回り後、2009年から初選挙。宗教助言主義を捨て、政党化して失敗。とその後の離婚で家庭ユートピア教義の終焉

後期教義の罵倒思想が説かれているのは『現代の法難』『舎利弗の真実』で、恭子をユダに、種村の舎利弗は方便にして、三男の真輝が文殊と舎利弗を継承。もはや過去世というより称号に近い

この時期から地獄認定発言が急増し、人間神の子理論はどこへ行ったのやら。大川教の真髄、差別罵倒思想が形成される

前期における地獄認定はフライデー事件と創価ドラキュラ論に見られるが対象は限定的で後期教義の萌芽と言えよう

後期教義における霊言濫発で地獄認定は本格化する。宇宙論におけるレプが登場したのも、罵倒思想に新たな理論的根拠を与えた

この後期教義の差別罵倒思想こそが大川の本性で、前期教義の人間神の子、反省、中道、言葉の創化力、家庭ユートピアといった教えから大きく変容しており、前期教義は大川自身も実践できていないことが明らかになった

借り物の思想では、全く身につかず。という偽仏陀大川の人生であった



こ、これはヤバい

ファイル0926.jpg
フジテレビの謹賀新年


(ピア健さんブログより)
 


大川教の伝道は「戦争」です

 
*信者ブログのコメント欄で「伝道は天と魔の戦争である」と言っていた信者がおりました

破邪顕正戦争は、倒すか倒されるかの戦争であり、真理による仲裁はあり得ず。相手を完全に斃すまで止めない無期限戦争で、仲裁せんとする者は魔の一員なり。といった論調ですね

*これは一部の偏執狂信者の言と思うなかれ。支部での布教誌ポスティングを「絨毯爆撃」と呼ぶ彼らには、これが大川教全体に蔓延した文化になっているのです

大川教信者が世の中をどのように見ているかというと、実現党を報道してくれないマスコミは魔の巣窟。大川教の実態を報道する週刊誌も魔の布教誌。選挙で議席をくれない日本人は魔に洗脳された人々。といった世界観です

*こういう世界観は、キリスト教圏である欧米諸国の言論でよく見られます。敵国や犯罪者をすぐに「悪魔」と呼ばわる通癖があり、時に考え方の違い、イデオロギーの違いだけで「悪魔」にしてしまいます

イエスは「汝の敵を愛せよ」と言ったように、イエス自身の思想と、キリスト教会の教えは大きく変容していると私は思っています

簡単に相手を「魔」にしてしまえる精神気質は、一神教における絶対神信仰と、天国地獄の二元論が源流となっているのでしょう

*大川教も、絶対神を大川自身とし、地獄認定の大好きな二元論を教義としているため、当然といえば当然の如く、意見の違う人々を「魔」認定してまうのです

欧米諸国の歴史を見ると、魔認定した相手を平気で虐殺し、植民地として奴隷化し、核兵器の人体実験のようなことを、良心の呵責なく、むしろ神の名を借りた正義の行動として、平気で実行してしまう危険な思想です

*東日本大震災を見て大川は何と言ったか「信者の家に津波は来なかった」と、津波被害の地で1棟だけ奇跡的に残っていた映像を見たことがあるか?そして信者以外はどうなってもいいのか?

大川は「被災地はたくさん人が死んで、地獄ができている」と怖がって近寄らなかったと元妻きょう子も証言している

大川は、全ての人々を救う能力もないし、全ての人々を救おうともしていない。これが大川の実態です

《戦争や暴力の側に、本当の神は居ない》ということを知るべきです

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和合僧破戒をする大川教信者たち

 
*大川本においては「和合僧破壊」と書かれているが、一般的に「和合僧破戒」が正しい

これは和合した僧侶たちを仲たがいさせ、僧団を分裂に導く言動をするべからず。という戒めのことです

出家した僧侶(職員)に限らず、在家信者どうしの仲間割れもその対象になるでしょう

*信者同士と言えど、人間の集まりですから、互いの意見の違いや、好き嫌いも含めて、いろいろ人間関係のトラブルになることもあるでしょう

本来の宗教なら、説かれている教えに従い、まず自らの心を修め、自らの非を認め、相手の想いを理解する・・という形で教理的に自然調和に向かうのですが

大川教信者の言い争いを見ていると、互いに我説を曲げず。自らを絶対正しいものとして、自らの非を認めず。相手にレッテルを貼り付けて罵り合う。といった見るに耐えない惨状を呈します

これは一度や二度の珍しいものではなく、大川教信者の争いは頻発し、たいていこのような罵り合いになっていくことを見ても、大川教の教理そのものに問題があるのでしょう

*大川教は大川隆法を根本神とする一神教です。信者の中にも大川教は多神教です。と勘違いしているひとも居ますが、大川以外の霊人を信仰しても、大川に帰依しないのであれば、それは信者とは認められません。

大川教は極端な善悪二元論であり、絶対神大川の意見によって天国と地獄に分け、とりわけ「地獄認定」をするのが大好きな教祖です

例えば選挙で、議席が取れないからと言って、その責任を日本人のせいにし、地獄認定してしまいます

大川教信者もこれを見倣って、自分の意見に合わないものは、大川が教えた「地獄」「悪霊」「レプタリアン」「左翼」「○次元」等々、いろいろな差別用語のレッテルを貼り付けて罵り合うのです

大川教の教理に従えば従うほど、自分を絶対正義とし、自分の非は認めず、相手には非寛容どころか差別的になり、自然調和などは生まれません

こういう害毒を信者の心に流している大川教差別思想は、本来の神の教えとは正反対の教えです


ケガの原因は?
おもしろ α56.jpg

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【神理の法燈】悟りとは如何なるものか

 
幸福の科学が困ることをひたすら書きこむブログ-くう α3 白砂青松.jpg


日々の生活のなかで 自らの愚かさを 常々 見つめている者にとって あの男が「悟りたる者」でないことは一目瞭然であろう

神とは如何なるものであるかを 人に聴かなければ判らないのか 各人がイメージする優しくて大きくて暖かい何かを 想い浮かべることは 誰もができることだろう

さすれば あの男が 自ら尊しとして 自ら根本神と名乗り出た あの男を 神の姿の片鱗も感じさせない あの愚かな執着人を 神の来臨として尊拝することなどできようか

自ら悟りの致らざるがゆえに 現生の仏陀に気づかないでいるのだろうか そんなことはない 自らの心の内に問え

神が如何なるものかを 誰かに聴かなければ あなたは判らないのか

ふしぎなことに 各人の良心の核は みな共通しているではないか

いろいろな考え方や感じ方がありながらも ふしぎなことに 心に映り 心の移ろいゆく法則は みな共通しているではないか

それこそが 我々 ひとりひとりの心の内に 神と同じものを宿してくれた証なのではないかな

さすれば 神とは如何なるものかを 誰かに聴かずとも なんとなく そして 深い実感を伴って 心の奥に響いてくるであろう


未だに大川教の信者を続けて居られるというのは「神とは如何なるものか」「悟りとは如何なるものか」について 感じたことも 考えたこともないのではなかろうか

あのような言動をする者が「悟りたる覚者」でないことは 一目瞭然であろう ましてや 根本神などと名乗った時点で「頼むから偽物だと気付いてくれ」と 大川の理性は語っているのだろう

あんな悪質な詐欺師が根本神なら あいつの居る天国なんぞ行きたくないわい

でも多分 そこは 暗い差別の檻で 各人の心が隔絶した 錆びれた場所であろう

あの男が詐欺師だったんで 神理の法燈は 他のひとたちで語り継いで往かねばならぬ

各人が各人の考えと神性を持ち寄り 各人が神の法を説けば良いではないか

神理の法燈は 独自の思想を抱く みな ひとりひとりの手に委ねられたのだ

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【不完全根本神信仰論】地上大川は信者に見捨てられた

 
*「法身信仰論」が衆目を集めておりましたが『仏陀再誕』における「根本仏=高級神霊=地上大川」を方便化したことにより ヨナバルさんは新たな可能性を見いだしました

「法身信仰論」とは完璧でない地上大川の現実は認め 法身の天空大川を信仰していくというものです

天空大川を信仰しているので 地上大川の法話『仏陀再誕』は方便化しても構わず 法身信仰論に矛盾する教説は 今後も次々と方便化の自己解釈をすることになります

地上大川が何を言おうが 自分の信仰である天空大川教を優先する その代わり地上大川は どんな俗人ぶりを発揮しようと 彼の信仰は揺るがないでしょう

つまり地上大川は信者に見捨てられたのです


*そして法身信仰論を維持するためには 地上大川が完璧であってはならず 造物主=地上大川であると困ります 地上大川はあんなんだからね

んで思想的な煩悶の末 新しく発明したのが【不完全根本神信仰論】です もうこの言葉そのものが矛盾しているのですが 地上大川の現実と大川の教説の整合性をつけようとするあまり こういう矛盾した信仰論に致りました

その論拠とするのは同じく『仏陀再誕』「しかし この天地を創り大宇宙を創った仏が小さな人間の肉体に宿って魂修行するということはないと思ってよいだろう
その意味において人間の人格というものを遥かに超えた大きな意識があるということは真実なのだ」p294

同じ本の一部は方便とし 他の一部を自分の根本教義にしたので

天空大川は限りなく造物主に近いが造物主ではなく ちょっとだけ不完全な根本神でそれを信仰しようという教義のようです

これはもう大川教というより ヨナバルさん独自の思想と言っていいでしょう

この思想的結論は「本当の造物主根本神を信仰さえすれば 無理苦理に作った天空大川を信仰する必要は全くない」という結論に達するはずですが そう簡単には行かないのかな?

*ちなみに大川教の教義は「大宇宙根本神仏である仏陀様とその教えを信仰することが人間の条件なのです。大宇宙根本神仏の仏陀様とは主エルカンターレ様のことです」~月刊誌『幸福の科学』1994年 第85號

ヨナバルさんは これも一蹴するのでしょうか



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霊界次元構造は本当に正しいだろうか? 考えてみた

 
*霊界ピラミッドは本当に正しいか?

「高級霊」「低級霊」という定義そのものが 本来の神の教えに沿ってはいないのではなかろうか

完全にありえない仮定ですが もし仮に 大川教が世界を支配するとしたら 世界は「霊界カースト制度」のもと 出身霊格による差別が明確になるでしょう

そして あいつは「裏だ」「4次元だ」「レプだ」「ただいま憑依中」等々 大川教団の支部や 大川教信者コミュニティーで頻繁に見られるヘイトな光景が世界の常識になるわけです

蔵原徹志「私の常識と 世間一般の常識としていることは違います 当然でしょ」
(関西校 住民説明会2011)

などと言う司祭階級が 皆さんの生活を支配する世の中になるでしょう

GLA教義「霊界次元構造」は 三次元のビルの階層を積み上げたような発想で 神と 神近き者を定義していますが

これこそが大川教の差別思想の淵源であり 本来の神の教えとは相容れないものであると私は思います


*本当の霊界の姿とは

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私のイメージする霊界は円卓会議のような この銀河系の姿のようなかんじかな

中心に 近いとか遠いとか そんなことは どうでもいいことなんです

この實相霊界において 誰もそんなことは気にしていません 充分に神さまから愛され となりの仲間たちとつながって 大きなひとつであることを実感しているからです

みな それぞれが自分の好みの個性をもって輝き たがいに照らしあい 学びあっている姿

そして自らのいちばん居心地のよいところに好き勝手に棲みながらも 自然と全体で調和し 全体の一部でありつつ何らかの役割を任っている

そして おたがいが愛し結びあい 神さまからも暖かく等しく遍く愛されている姿

これが神の教えを具現した霊的世界の實相のような気がいたします


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ほら これ
みんなのもあるよ



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たくさんの灯が
なつかしいのは

あのどれかひとつに
君がいるから
 


大川隆法は6次元下段階の霊仙人だそうです

 
ふと思いついたので
気軽に大川の悟りをあれこれしてみようと思う

大川「ちょー 私が人間様に裁かれるなんて顔から火が出るほどハラが立つ!」(2009選挙演説)

「うるさいな あんたの霊言の時間はもう終わったの また遊んでやるから 黙って聞いてなさい」

*その前に霊界次元構造そのものが本来の霊的世界の姿ではないと私は勝手に思ってるんですが ここでは仮に高橋信次の霊界次元説に沿って話をいたします

*あっ何度も言うけど 大川のは単にGLAの本からパクっただけなんで 大川自身も霊能力で見たわけじゃないんです

隣に居る人の心の中すら見えない人なんですから

*大川隆法はですね 小さい頃から霊現象に興味があって 世の中のことを全部 霊的に説明して喜んでいました

自分にとって何か不快なことがあると「こいつはアクマの仕業だな」と言うのが口癖でした(たぶん)

大川の霊的使命は単に「三次元の箱庭からの脱出を促す」というテーマだったんですね あのひとの人生は‥

元々は6次元の下段階から来た霊仙人です

『太陽の法』新版で高橋信次のことをそんなふうに言ってましたが 大川さん自身のことだったんですね

でも今回も 自らの悟りを偽ってしまったので また一千億年の孤独ですね 寂しがり屋さんが ひとりで大丈夫かな?

ん?過去世妻?
それは あんたが勝手に名付けて愛人にしたんでしょうが

あの子たちは あんたのカルマを背負って大変だったんだから ちゃんと天国に行きます†

あんたは独りで反省してきなさい

大川「おのれ〆アクマめ ライト クロス ライ‥」

イエス《アクマの名を呼ぶ者だけが その者を呼び寄せることができる》

わぁ♪イエスさまだ

そうなんです 大川は しょっちゅう そんな話をして 信者まで「差別思想で何がわるいの?」とか言ってます

どうしたら良いでしょうか?

イエス《おぉソフィじゃないか久しぶりじゃのう みんなで偽神封印を頑張っておるのう いつも私は みんなの傍に居るからね 思ったとうりやりなさい》

ほわほわ~
気持ちよかー*∂


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聖唱《正心法語》三訂版

 
さて 大川の詩の 波長も言魂も あまりにも ひどすぎるんで 身も心も美容にもよくないよ あんなものを声に出して読むに耐えないという信者さんたちに 本当の天使の世界から 美しき神の調べをお届けする新企画

今日のゲストは
私の前々々々世あたりの歌媛意識を呼び出して(←あやしげ)大川詩「次第説法」の浄佳をしてみました


ゆるしの ことのは
《こころの香我美》


こころにて
香ほる想いを
うち開く
始めはいかに
ゆかしかれとて

我がうちに
因果の えにしを
映えるらむ
正しき御世や
ひとの香我美に

あっく もうごも
たいせつな
ひとの道とぞ
悟りしや

こころの織りを
掃き清め
ゆるしの川に
流すべし

水からの
うちなる想ひ
さらさらと
ゆるしえてこそ
神理なり

かくして因果な
その道を
ゆるしの川に 流すなら
自然とそこに
我はなし

あるがままにて
ありうべし

自らの
そのままをこそ
受け容れよ

その想いにこそ
調和あり

自らの
神なる香我美を
信づべし

四諦とは
四つの諦め
人として

いかにせむとも
あくを為す
ことばもつよく
出てしまう
想いは常に美しく
あらんとすれど
よく深く

正しき道とは
こころのままに

そのままをこそ
表現せよ

あやまちあらば
ごめんなさい

うれしかったら
ありがとう

むじゃきに すなおに
こころのままに

幼きころの
あなたのように

しかして ひとの宿業
抜け出でて
天然世界に致るべし

神さまや みんなと伴に
抱き合うべし


     桜 薫



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【神理文明の復興】~時代は今!本当の神さまへ

(再びコメ揚げ コウさんとこは インスピ ぱしぱし来ますね)
コウさん Thanks

ブログって結局は独り言だから広報力には限界があるけれど

私はネットによるお互いの情報交換によって 時間の流れを速められると思います ある意味 ネットは三次元とっぱツールかも

三次元に居ながら時間を速めてまくって智慧に致る ネット解脱もできるかな♪それには、やはり心で話さんとね つまりネットは霊界における波動通信の三次元版なわけです

あっ 確かに嫌でしょう ハラ立つと思います 私も信者だったんでね みなさんは かつての仲間ですわ 今もだけど
これがアンチの仕事なんで そして愛そのものの想いなんで どうしようもないのです

コウさんはアンチ情報を見てるって すごいですね ご自身に本物の自信がある方なんだと思います

私もアンチ情報に触れる前は 信仰が確かならば 何を見ても大丈夫なはず って思ってアンチ情報を見ました

文末に いくつか純度の高い情報元を挙げておきますね


以下CM
これであなたも幸福通!

やっぱ法を学ぶなら裏も表も学ばなきゃ 幸福の科学の真実の歴史が今 明かされる!

アンチ情報は幸福の科学のアカシックレコードみたいなもんです

表のキレイな世界を卒業したら こんどは舞台裏のカラクリを学んで これこそが まさに本当の神さまが用意した箱庭の中の計らいごとでしょう

そして神理文明の法灯はアンチの側に引き継がれ アンチの中より新たなる《神理文明の復興》が行われるのです 時代は今!本当の神さまへ


って気が向いたらでね

関谷皓元『虚業教団』

種村修『舎利弗の真実』解説

ファルコン大畑告発


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大川教思想は信者の悩みを増幅し依存させている

 
某所で信者諸氏と話していて 大川教信者は 大川自身の性格上の病理を受け継ぎ波長同通していることに気付きました

今回は大川隆法の本体部分の性格である《レプタリアン型》について見てみましょう

その前に大川教思想とは 初期GLA教義は含まず 明らかに初期の教義とは異質で大川独自の本性が現れてきた2010年頃からの教義で きょう子や種村氏への罵倒 週刊誌等へのアクマ認定 天罰思想 墮天脅迫およびレプタリアン思想と定義します

ちなみに「レプ」という呼称は 本当のレプタリアン?に失礼なので

単に大川の沈澱した劣等感がドロドロと腐ってしまった性格にすぎないので ここでは「冷血型」と呼びます

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《冷血型 性格分析》
・過剰な装飾をするカッコ付け屋で 言葉は丁寧を装うが性根が腐っているので陰険な嫌味になりやすい

・良い人を装うが 時に冷酷非道な一言が出てしまうため二重人格と思われている

・自分自身の冷血さをある程度は自覚しているので厚塗り化粧をしないと表に出られない

・だが塗ったくれば塗ったくるほど 自分の本性を知られることへの恐怖が増してしまう

・自分の本性を見破られそうになると相手との関係を絶ち切り 激しい罵倒と加虐をせずにはいられない

・表面意識では とても知的な自己像をうぬ惚れているナルシス・オナ男で 常に相手との差を見せつけてはいるが 実は自分の冷血なる本性を正視する勇気がないだけである

・冷血になれるのは 生きていく上での至上命題が 自分の自己像を守り抜くことであり 大川のナルオナ場に立ち入り脅かす者は容赦なく斬り捨てていくのである

・自信過剰の増上慢と見るのは誤りで 自分自身を正直に見ることすらできない臆病者である

・そのため他人からの善意ある忠告に対しても 心から反省することはできない

このことは 今まで誠意ある諫言をしてくれた親族弟子たち 善川三朗 富山誠 小澤利夫 安田一男 斎藤敏之 種村修諸氏を次々と斬り捨てたことに現れているであろう

大川教信者は 大川の性格上の病理を受け継ぎ 大川教思想によって正統性を付加し尊大ならしめているために 信者の悩みは増幅し 解決を遅らせ 更に大川教にしがみつく依存症を生み出しているのである

大川教の黴毒性は ここにあると言っていいだろう†


『正心法語』を読唱してはいけない

 
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*言魂(ことだま)とは ことばに想いや念が宿り ことばそのものが ある種の力を帯びる魂と考えられてきました

*江本勝『水は答えを知っている』という本で 水に ことばを聴かせると 結晶が変化して その言魂を感じている姿が写真入りで紹介されています

幸福の科学が困ることをひたすら書きこむブログ-ファイル0724.jpg
↑文字が見えにくいですが2段目は「白鳥の湖」「ヘビメタ」です

3段目は「愛・感謝」でしょうか 隣のは ひどいかんじの言葉です

*二重否定と言魂
さて いきなり《実験》です↓この言葉から何をイメージしますか?


「みなさま ピンクの可愛い象さんを思い浮かべないでください」


「いいですか?ピンクの耳の大きいダンボのような かわいい ぞうさんを絶対に思い浮かべないでください」


どうでしょうか?
ゆっくり読んでくれた方は ピンクの象さんが あなたのイメージの中に遊びに来てくれたと思います

このように二重否定というものはイメージの中では効果がなく 言葉そのものが持つ言魂がイメージを描きます

*本題です
二重否定が好きな教祖がおりまして 言葉に敏感なひとは 否定的な言葉を見せられたり 聞かされると 胸に痛みが走ります

それゆえ私は信者時代から『正心法語』が好きではありませんでした

あの大川の詩はリズムが不協和音な上に 言魂に無配慮なハモノのような言葉で綴られており 私はここに書くのもイヤなのですが漢字をカナに替えると少し波長が和らぎます

*「地上に○○はあるべからず」アクジ アクレイ アクマと並んで居ます

ピンクのダンボならいいですが 感性の世界で大川の「悟り」を判定すると これは神の調律された美しい言葉では全くありません

特に降マ経なんて あれは大川アクマ教そのものです

大川「私に だまされても諦めてください 判断しなくていい ぢごくの底まで私に付いて来なさい」ま それは絶対にないですけど

と正直に言ってました

アクマや ぢごくや そういう話が異様に大好きなようで あのひと


水さんは あの言葉に
何を感じたかな?アシタマ

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神秘体験は正しさの証明にはならない

 
*神秘体験は正しさの証明にはならない

幸福の科学に限らず 霊道現象を主体にした宗教や犯罪組織オウム真理教でも神秘体験を経験したひとは居るでしょう

怪しげなカルト宗教と呼ばれる団体でも神秘体験は起こるわけです

心の曇りを清めていくと自らの潜在意識や守護霊などと交信が可能になるという高橋信次の想念帯理論は私自身の体験からもある程度 妥当なものではないかと感じています

ただ霊現象や声が聞こえたという現象だけでは「常に断定しきれないものである」というのが私の考えです 死後あっちに逝って答え合せをしてみない限り 自らの霊的直感を過信するのは危険でしょう

幸福信者には自らの霊体験を以って「私は霊能者だイタコ芸は本物だ」と言っている自称霊能者も居るが 大川の実態すら感じ取れないぐらい「鈍感な霊感」なのです

こないだピッポさんに新聞記事や大川霊言の間違い 大川自身のインタビューの言葉を見せてみましたが

その事実からは目を逸らせ 自らの霊的直感だけを頼り「正しさ」にしがみついてる姿を見て
「霊的直感で得た示唆を事実関係の裏を取り 因果もって判断していくことが大事ですよ」と伝えたいですね

私の信者時代の姿でもあるのですが 絶対に正しいと直感していても 実は卑劣な詐欺師である事実と証拠が存在した現実を見て 自分の直感も間違うこともあるんだと身に染みました

それと同時に信者時代に心の片隅では ちゃんと感じていた違和感や嫌悪感 大川の言葉に感じる痛みもまた事実の裏付けから あぁやっぱりなと妙に納得し

幸福信者の特徴である傲岸不遜な態度と高級霊意識それと窮屈な罪悪感という大川教の檻から抜け出せました ぱたぱた

元舎利弗で祝退会した種村修さんも『舎利弗の真実』を解説したブログで

「神秘体験あるいは霊的領域とのコンタクトは 私たちの心の状態によるのであって 場所を問わないのではないか そう感じるのです」と言ってました


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高橋信次の素顔

 
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【高橋信次】

GLA創始者 大川の師匠

神智学やヘルメス文書エメラルドタブレット、霊界チャネリング等の思想系統に類する

高橋信次による霊界次元構造、本体分身理論、守護指導霊、過去世リード、想念帯、一念三千、改良八正道、反省修法、霊言現象、宇宙即我などを大川理論に取り入れている。「神理」「エルカンターレ」も高橋信次の造語である

高橋信次は釈迦の生まれ変わりと宣言しており、後に大川隆法も釈迦意識の生まれ変わりを自称

二人の釈迦問題を解決するため 大川は高橋信次を詐称し霊言集を偽装する。釈迦弟子の多くを幹部に付与、種村氏退会で舎利弗を変更

イタコ高橋で「自分は釈迦ではなく、あなた(大川)が釈迦の生まれ変わりだ」と言わしめ釈迦の過去世を簒奪する

後に大川の言い訳や自分の都合にあわせて設定変更する際に「高橋信次」の名前が濫用されている。恩を仇で返す大川の人間性がよく顕れている

【対談】高橋信次の実弟 高橋興和氏と当会会員No.18関谷尚良
新宿 ホテルサンルート
1988年10月27日14時

高橋興和「兄の性格は百も承知しています。本当に兄の霊が出て来たなら、すぐにでも飛んでいって話をしたいと思います。でもね違うんですよ。巧妙に似せてはありますが兄じゃないんです。私も残念なのですが

ほんとうの神理を樹立してくれるなら、ありがたいと思います。でも大川さんが書く本の内容は、絶対に兄のものではありません。あのようなレベルで次々に本を出されては困るんです

大川さんの冗談には品性がありません。兄はあんな下品な言い方のできない人でした

このままでは兄の悟りはこの程度の浅いものとして広まってしまうんです『新幸福論』『愛の讃歌』はひどいものです。あれでは猥褻書以下です。何が神理ですか。一人ひとりに対して、兄はもっと真剣な愛を持っていました。そこのところを正しく伝えなくてはならないんです」

~関谷皓元『虚業教団』


(大川隆法『新幸福論』をコメント欄に記載⇒)


高橋信次の素顔(詳細)


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『真説八正道』を幸福教義的に議論する

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大川隆法『真説八正道』
(土屋書店 絶版)

*この本は反省行を考える際に、おもしろい本だと思いますね。アンチな私が言うんだから、だいぶ良い本なのでしょう

全体を通して、おそらく大川さんの反省体験から、現実に起こる諸問題をいかにして反省の思索ベースに乗せ、人生の教訓に昇華させていくか、その思考プロセスを説いた本です

こういう良い本を絶版にして、闇に葬ったのは、大川さんの都合上、とてもまずいからなんですが

その前に幸福教義の八正道の変遷を見てみましょ。この本の後『悟りの挑戦』で正信・正解脱を追加

《方便の時代はまだ終わってないけどエルカンだぞ宣言》で『仏陀の証明』だったけか、麻原彰晃に指摘された八正道の順番を入れ替えて本来のものに戻し

その後も八正道について触れても、正見、正思‥と簡単に並べるけれど、大川本人も飽き飽きしたような、読者はもっとうんざりするような説明をして

理論的な発展も更なる深みを話すこともなく「仏教完了。私は釈迦の悟りをすでに超えた」と一方的に宣言。ネタ切れショートで、おつむから煙が出たんで、きょう子妊娠を奇貨として、宇都宮に引きこもり愛人惑溺10年生活に突入します

まあ高橋信次から簒奪した最短の偽仏陀を名乗るわりには、仏教理論をより深める知的作業もすることなく、仏教解説本の読書感想文みたいなのを何冊か出して、お茶を濁し仏陀だったわけですが

最初にお話したとおり『真説八正道』に関しては青年大川こと中川隆の思想的葛藤の経験を語ったものだけに、反省行をする上でより良き参考書にはなるでしょう

この本をわざわざ闇に葬ったのは10次元人格存在〔聖アントニウス〕を登場させてしまったからですね

大川「私は9次元と言っても、この方の前では赤子のようなもので、いつも教えを受ける立場に居ます」とまあ今では考えられないくらい謙虚な大川さんで、むしろ読者としては好感を持てる述懐だったんですが

これがあるとエルカンを地球最高神に格上げするのに教義上都合悪いんで、方便の糞溜めに紛れ込ませて闇に葬ることにしました

これがアンチテイストな幸福教義史の一部ですね

シンパの反論がなければこの解釈を後世に残す歴史の一頁としますがそれでよろしいですかな?

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幸福信者村の同性愛論争

 
*幸福信者村で起きた同性愛論争について、時系列に整理してみました

ここには書ききれないので ちょっぴりアンチテイストでよければ、参考にしてみて下さい

同性愛についての論争


*それと大川隆法さんの差別発言著作集

・『フランクリースピキング』
同性愛者は霊的に問題がある

・『創造の法』
同性婚は一種の社会病理現象、退廃の時代(末期的症状)

『太陽の法』新版
『限りなく優しくあれ』
『超絶対健康法』
『菊池寛の霊言』

↑この4冊の詳細については こちらをどうぞ

大川隆法 差別著作集


*私自身が長年、性の同一性について、さんざん悩みましたので、

信者当時の私の中での解釈方法は「主にも得意不得意な分野があるのだろう。主が関心のないことは、それほど深く見識を持たれることはないのかも。自分が悩みに悩んだ分野というのは、相当深い井戸を掘って、詳しくなって行くんだろうなぁ」と、

こんなかんじで折り合いを付けていましたが、今思うと観自在なんてウソっぱちだったんだなと気付けるキッカケですよね。ココ。

性同一性や性癖については、大川本を読んでも空っきし解決しません。

・思索の得意な方は、独自に自分なりの思想を育てて対処していくしかありません。

そして大川説と自説の間で思想的な煩悶を繰り返します。

この時点で本当は大川の見識を越えてしまっているのですが、あとは、しのごの考え抜いたあげく、自分の中で大川の見識の浅さを納得して・・
(つづきはこちら

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ここが変だよ過去世設定

 
【カブリまくる過去世】

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《坂本龍馬》
・南原宏治
俳優。南無原みろくの父。ガンのため死去

・大川紫央(近藤しほ)
元愛人、離婚後に即大川と再婚。ガイアに昇格。大川より人気のある信仰対象


《神武天皇》
・神武天皇は存在しない ~大川隆法『黄金の法』

・仲村(女性職員)
 ~『神武天皇は存在した』


《ヤショーダラ》
・山下ひろみ
過去世妻を理由に大川から性的奉仕を強要された女性被害者、退会(種村文春告発)

・大川咲也加
ちゃっかり2代目ヤショーダラ

《アーナンダ》阿難
・阿部浩行?
大川に神託結婚を強制され退会。阿難事件と呼ばれ、初期職員の大量退会に繋がる。会員No.1原久子もこの事件で大川の人間性に失望して退会。(関谷告発)
↑会員No.4山口篤さんに聴いてみなよ

・竹内久顕
2代目アーナンダ兼、2代目アフロディーテ


《シャーリプトラ》舎利弗
・種村修
かつての一番弟子、大川の人間性の下劣さに嫌気がさして退会、名誉毀損で大川を告訴中。

・大川真輝
ちゃっかり2代目シャーリプトラ

《ナイチンゲール》
きょう子、南無原みろく

《文殊菩薩》
きょう子、大川真輝

《アフロディーテ》
きょう子、竹内久顕

《ウリエル》
大門未来、ゴルバチョフ

《ユリウス・カエサル》
大門未来、ゴルバチョフ

《曹操》
・小川空城 小川知子の実兄。政治工作を担当。

・大川未来 ちゃっかり2代目

《張遼》
・酒井某 教団職員

・亀井静香 政治家

《上杉謙信》
・矢内筆勝 2003年当時
・渡邊和哉 2013年現在



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大川隆法『パクリの法』

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↑両手に腕時計?

Thanks the editing
for Anchi san.


*高橋信次からの教義盗作
◎主エル・ランティー
 エル・カンターレ造語

①霊界の次元構造(4~9次元)

②八正道・一念三千の独自解釈
(正業=しょうぎょう
 =正しい仕事など)

③守護霊・指導霊理論

④本体・分身理論

⑤憑依・悪霊論

⑥歴史上の偉人を各次元に配分

⑦太陽系霊団と宇宙の歴史
 宇宙からのUFO移住
 (ベータ星関連)

⑧宇宙即我

⑨霊道・霊言現象論

⑩釈迦の再誕
(ジャブドーバー
 ケントマティー関連)

⑪GLA「主宰」高橋信次



*愛の発展段階
 アリスベイリーより

パーソナリティーの愛は、純粋で単純で全く利己的な自分自身への愛の段階を経て、家族や友人への愛、人々への愛へと徐々に発達する。

さらにそれは魂の顕著な特質である人類への愛 つまりグループ愛意識の段階に到達する。

魂の愛は徐々に人類への愛から普遍的な愛へ発展し

モナドの愛は、ある程度の宇宙的な愛を表わし太陽系の外側にあるものの多くをも包含する


*七色光線
神智学「完全アセンション・マニュアル」より

七光線は、神が顕在化するに際して最初に行った識別のことであり、神の表現の具象形態における全分野を規定するものである。

また七光線は神の七つの資質を表す七つのタイプの力の具現でもある。

それら七つの資質は、神の無限の宇宙全域に存在する物質や形態に対し、七重の影響力を有するものである。

大いなる七つの光線は、次に示す“七人の大いなる存在”が具現されたものでもある。

1.力ないし意思の主
2.愛と叡知の主
3.活動知性の主
4.調和と美と芸術の主
5.具象的知識と科学の主
6.献身と理想主義の主
7.祭儀的秩序ないし魔術の主



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